増田常徳展『黒い海峡』 画廊岳開廊30周年記念

2010年9月11日~2010年9月21日
開催日2010年9月11日~2010年9月21日
問合せ画廊 岳・ギャラリー コロン
[会場]画廊岳、ギャラリーコロン
[会期]9月11日〜21日
[時間]11:00〜18:00(最終日は〜17:00)

[特別会場]くにたち市民芸術小ホールギャラリー
[特別会場会期]9月11日〜16日
[特別会場時間]10:00〜19:00(最終日は〜17:00)


戦後の1948年、東シナ海の五島列島で私は生まれた。いわゆる団塊の世代として、五島で生を受けた偶然を必然と捉え、五島の位置を軸にコンパスで円を描いてみる。過酷な歴史が刻まれた、深くて悲しい黒い海峡が見えてくる。かつて遣唐使が風待ちをした島は、一転して隠れ切支丹の迫害の島となり、そして恐るべき狂気で、広島、長崎に原子爆弾が投下され、灰燼(かいじん)と化して終戦を迎えた。焼け出された庶民の疎開の島となった五島列島である。
そのような背景を見つめた島で育った私に、何時しか画家への夢が芽生えていった。当初は洋の東西の美術や芸術に憧れを抱いて、絵描きを試みる日々であったが、筆を重ねるうちに、一抹の懸念を抑えることができなくなった。“人間とは”と言う自身への問いかけである。人生を根源から掘り下げることを心がけ、歴史に綴られた真実に目を背けることなく20年以上創作活動を続けてきた。
此のたび、国立市にある画廊岳の開廊30周年記念と重なり、くにたち市民芸術小ホールギャラリーを特別会場として、個展を開催していただく機会を得た。その展覧会のテーマを五島に立ち返り「黒い海峡」と位置付けた。五島から西を望む海峡には、稀に済州島が、幽かに浮かび上がることがある。
日本の統治下にあった朝鮮半島は、終戦と同時に連合軍によって解放されたものの、独立を願って皮肉にも争いが起こり、私が生まれた1948年に済州島大量虐殺事件(一説によると犠牲者は7万人とも言われる)が起き、2年後の朝鮮戦争の引き金となった。
ベルリンの壁が崩壊し16年たった2005年、私はベルリンを訪れ、壁に分断された不条理が解かれたことの意義を痛感した。韓国や北朝鮮に関する記事に触れると、同じ民族の統一を願わずにはおられない。そのような心境で創作していた7月10日、私と同世代の「蒲田行進曲」で有名な劇作家つかこうへいさんの訃報に触れた。つかさんは、自身が在日韓国人という差別の狭間で揺れ動く葛藤を重ねていたと言う。つかこうへいというペンネームも、何時か公平な世の中になることを願って付けたそうだ。この様な民族のため、また責務のためこの世に送り出されたのか考えさせられる。確かに戦後の復興と高度経済成長のために懸命に働き続けてきた。だが現在の混沌とした閉塞感の中で、子どもや孫のため我々に課せられた使命があるのではないかと考える。
こして歴史を紐解いていくと、海峡の底に横たわる沈黙者の層がタールとなってくすぶり、読経が聞こえてくるようだ。このことは、私の創作活動にも少なからず影響を及ぼし、力の源泉になっている。ちなみに、つかこうへいさんは遺言の中で、日韓の平等と平和を願って「対馬海峡で、娘に散骨してもらいたい」と結んでいたそうだ・・・(朝日新聞)。
つかさんの願いは、私の個展テーマ「黒い海峡」と偶然にもダブって、鳥肌が立った瞬間であった。Jotoku
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会場画廊 岳・ギャラリー コロン

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